超有名コピー「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山。」でおなじみの山本山。言わずと知れた贈答用海苔のトップブランドです。お歳暮に海苔が届いて「そんなカーボン紙みたいなモン喰えるか!」などと思う日本人は、まあ、いません。嫌がる人がいなくて、しかも日持ちも良い。そんな海苔の銘柄が山本山だった日には、それを受け取ってがっかりする人などいないでしょう。
そんな山本山についての考察です。
山本山はお茶のブランド。
山本山の創業は元禄三年(1690年)です。なんと今から330年以上前。
宇治郷にある山本村の「嘉兵衛」が、江戸の日本橋で宇治茶と紙の店を出したのが始まりだと言われています。海苔じゃないんかい!とツッコミを入れたくなるところです。元禄の頃には浅草苔や品川苔が江戸の名産品として有名だったのですが、山本山が海苔を取り扱いだしたのはかなり最近?の昭和二十二(1947)年になってからです。そして、紙の商売をいつ止めたのかはわかりませんが、山本山は今でもお茶を扱っています。何なら海苔よりもお茶の会社と認識してもらいたいと望んでいるフシが山本山にはあります。
山本山は日本橋に「ふじヱ茶房」という超高級喫茶店をひそかに営業している。
そして、山本山のルーツは江戸ではなく、今の京都府の南端、奈良の県境に近い京田辺市の木津川沿いの村にあります。
宇治茶の宇治は宇治とは限らない。
「宇治」と言えば、10円玉にデザインされている平等院鳳凰堂が有名で、宇治橋とともに修学旅行の定番コースでもあるのですが、あそこは宇治郷という、宇治郡の中の里の一つで、もともと公家たちの別荘地だった場所です。

そして今、わたしたちが「宇治茶」と聞いて想像する、広大な茶畑が広がるなだらかな山々のある辺りは宇治郷でも宇治郡でもありません。そこから少し離れた山中にある、綴喜郡や相楽郡などがそこで、江戸時代に山茶園が次々に開発されて宇治茶の産地となった、宇治を中心に据えると縁辺部のような場所です。

宇治茶はその名の通り、宇治郷の公家の別荘の庭や、寺社の境内の一部を茶畑にした屋敷茶園として始まりました。貴族版の家庭菜園です。そして需要の高まりによって作付面積が拡大し、農園的な茶畑が成立ました。つまり茶園はもともと平坦な市域にあり、これが江戸時代になって需要が爆発して台地や山地にまでに拡大していったのです。
山本郷
現在の京田辺市三山木、だいたい同志社大学の京田辺キャンパスの広がる同志社山手をJR三山木駅に向かって下る山裾あたりは、かつては「山本郷」と呼ばれる里でした。江戸時代には「山本村」だったのですが、半分が平地の緩やかな丘陵地です。そのすぐ東隣には「飯岡」という直径が500mもない、編笠を伏せたような独立丘があります。ここは今でも玉露の産地として名高い地区です。
現在の三山木に茶畑は無いように思いますが、江戸初期の山本村ではどうだったのでしょうか。飯岡のお隣ですから、おそらく多くの茶園があったのではないかと思います。しかし、江戸に行く前の嘉兵衛が、山本村で何を生業としていたのか、茶園業なのか製茶業なのか、はたまたもともと茶商だったのか、全くわかりません。まあ、おそらく庄屋とか雑色程度の財力とか人脈を持った人物だったのでしょう。
山本郷には南北に古山陰道が通り、和銅四(711)年には山本駅も設置された。現在その駅跡に建つ小寺、寿宝寺はかつては山本大寺と呼ばれた大寺院。山本郷の茶の歴史はこの境内茶園から始まったのかもしれない。
鍵屋、もしくは茶問屋山本。
山本村を出た嘉兵衛は、百万都市になったばかりの江戸に下って、日本橋という、今のニューヨークの五番街とか、ロンドンのオックスフォード・ストリートのような超一等地に店を構え、その屋号を「鍵屋」と名付けました。そして、茶業界隈にはその産地を「~産」の意味で「~山」と示す慣例があるので、鍵屋で扱う茶は山本村の茶ということで、鍵屋の暖簾や茶壺、茶袋などには「山本山」と銘を入れるようにしました。これが後に社名となりました。

武士の監獄、商人の金鉱、江戸。
鍵屋が開業した頃の日本は、江戸幕府が始めっておよそ80年、五代将軍綱吉の時代でした。徳川家は新たな戦乱の芽を摘むために、全国から武士共を江戸に集めて長期合宿させる仕組みを整備しました。それを途切れることなく運用することを義務付けたので、江戸は徳川家による中央集権体制を肌身で理解させるための巨大な「荒くれ者矯正センター」みたいな場所になっていました。この合宿研修生が百万都市江戸の人口の半数を占めていたわけです。

また江戸は、経済的な視点で観れば、数十万人の刀を差した読書家が何の生産もしせず、国許からの仕送りで、ただただ「消費」するだけのブラックホールのような場所だったので、商売人にとってみれば、そこで店を構えることは成功への最短ルートでした。現代ならば、「店舗に投資するならまずAmazonとかアリババとかのサイバー空間に出店するのがセオリー。」みたいな感じでしょうか。日本橋の出店には大変な労力が必要だったでしょうが、そのコストに似合う確かなリターンがあったわけです。

さて、日本橋の一角でお茶と紙の販売をはじめた「鍵屋」ですが、ここから先はまた次回。

山本山のお茶と言えば「煎茶」。そして山本山の煎茶の代名詞と言えば「天下一」と「玉露」。 ティーバッグも販売されている。
参考文献
橋本素子「日本茶の歴史」
桑原秀樹「お抹茶のすべて」

参考サイト
山本山、Wikipedia、コトバンク、NDLギャラリー 錦絵と写真でめぐる日本の名所、まち日本橋 日本橋再生計画 日本橋の誕生、日本茶のふるさと 生産の景観 解説マップ(平成26年3月京都府)、東京から引っ越してきた人の作った京都小事典 山城、など。
画像、動画元サイト
山本山、Wikimedia Commons、Googleストリートビュー、Unsplash、photoAC、京田辺市公式動画チャンネル、など。
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