ウシと牛。
牛の北京語は「ニゥ」、呉の時代にも「グ(ゴ)」と発音していたらしいので、「ウシ」という言葉は大陸の発音が変形したものという、ありがちな公式が当てはまりません。一方で、魏志倭人伝には「倭に牛はいない」と書かれてあるので、この言を信じるなら、倭語でもないと思われます。実際に牛は外来動物で、馬とほぼ同時期に倭国に入ってきました。江戸中期の天才学者である新井白石が記した「東雅」という語源の注釈本には、朝鮮の方言に「ウ」と呼ぶ事があり、ウ+シシ(肉)で「ウシ」となった。とあります。ただし、新井白石の語源に対する解釈は、全般的に外国語起源推しが強めだったようで、ちょっと眉唾な気もします。この朝鮮語説に対して「いや、倭語だ!」と主張する向きもありまして、彼らの説によりますと、近代まで牛は食肉的な立ち位置ではなく、重機の牽引車的な、パワーマシン的な扱いだったので、「鞭で打ち使う獣」と言う意味で「うし」になったという解釈です。これもちょっとどうなんでしょうね。結局のところよくわかりません。

牛は馬と同時に持ち込まれた動物だと書きましたが、馬は主に軍事に用いられたために武具の一つとして、一武家に一頭はいるくらい飼育されましたが、俊敏性に劣り、背に乗ることを嫌がる牛にその役割は担えませんでした。牛の主な役用はその強大なパワーを利用した牽引作業でした。荘園など農地の整備や開墾用のトラクター代わりとなり、都では無駄に重い公家の車も牽引しました。東日本で生産される馬がやがて大型化していって、軍事以外のトラクター的な役目も馬がこなせるようになると、東日本では牛を飼う文化が廃れ、牛は西日本では重宝され続けたものの、馬のような圧倒的な地位を日本では占めることはできませんでした。
また、渡来してしばらくの期間、牛の乳はヨーグルトやクリーム、バター、キャラメルなどのような(実はよく判っていない)乳製品に加工され、薬として物納されました。酪農の「酪」は、ヨーグルトに類似したものと推定されている乳製品の名前です。これらの乳製品は、やがて様々な歴史的な変遷を経て大豆製品に取って代わられ、酪農は文化自体が途絶してしまいます。後に江戸時代の徳川吉宗の治世になって、インドから白牛を輸入して千葉で育てて繁殖させたことにより微かに復活はしますが、酪農が本格的に復権するのは戦後のアメリカによる占領政策によってです。

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