ついに山本山の現在のメイン事業である海苔について考察します。
ただ、海苔の世界は奥深く、例によってまずは「そもそも論」、つまり「海苔」という食品全般についての理解を深める作業から進めることにします。
したがって、しばらくの間、「山本山」について語ることができません。山本山は茶商としては三百年来の歴史を持ちますが、一方で海苔商としての歴史は戦後になってからなので、海苔の歴史などを書いている段階では登場しようがないのです。そこで一旦「山本山」のシリーズを区切り、「海苔」のシリーズを挿入する形で話を始め、後に適当なところで二つのシリーズを合流させることにします。
後に昭和のナショナルブランドとなる「山本山の焼き海苔」。海苔が贈答品の定番だった時代、山本山の「あさくさ」はお歳暮の王様だった。
も(藻)
海苔は、藻類の一種、つまり藻です。
海苔の話を、まずは「も(藻)」という言葉から始めたいと思います。

「も」と「め」——古代日本語にみる藻類の呼び名
わたし達は「藻類」または「藻」という言葉を聞くと、何となく、濃い緑や焦げ茶色のヌルっとした、全般的に似通った印象を持つ水中の植物群を何となくイメージできると思います。
日本では古代から、水の流れに身を任せて柔らかく動く水生植物のことを「も」もしくは「もは(藻葉)」と総称していて、その「も」中でも特に海中のもの、つまり海藻のことを「め」と呼んでいたそうです。ワカメのメがそれですね。

「も(裳・裙)」——装束に宿る藻への憧れ
「も」にしろ「め」にしろ、古代から日本人は藻類にかなりポジティブな印象を持っていたようです。
例えとして適当なのか疑わしいですが、平安時代の貴族女性の装束である十二単において最も特徴的な、歩くときにズリズリと後ろに長く引き摺る帯のようなものの名前は「も(裳)」です。
また、それ以前の奈良時代における貴族女性の正装は、超ロングのプリーツスカートのようなもので、やはりこれを履いて引き摺って歩いたのですが、このスカートの名前も「も(裙)」です。

これらの「も(藻、裳、裙)」たちが果たして音素として同源なのかはわからないのですが、水中で揺らめく「(水草を含む)藻」を尊ぶ価値観が古来から日本人的な価値観の根底にあったと想像すると、同根のように思えます。
厳藻
現在の出雲平野を中心に古代の日本において絶大な勢力を誇った古代出雲王朝では、藻類が神聖視されていたとも言われています。
そもそも「出雲」という名前が「いつも(厳藻=神聖で美しい藻)」から来ているという説すらあります。そんなアホな!と笑ってしまいそうな話ですが、驚いたことに諸説ある中ではまあまあ有力な部類に入る説なんだそうです。
斐伊川と素戔嗚尊——日本書紀に登場する出雲の川
日本書紀の神代上の条には簸川(肥河=ひのかわ)が高天原から追放された素戔鳴尊が地上に降り立った場所として登場します。この川は現在の島根県の斐伊川(ひいかわ)のことで、歴史書に登場する実在する最初の河川であり、素戔嗚尊が退治した八岐大蛇のモデルとなったとも言われる「暴れ川」です。

止屋淵の謀略——川藻で弟を誘き寄せた振根の罠
同じ日本書紀の崇神天皇の条には、出雲国が大和政権に従属するストーリーの一部に、斐伊川の止屋淵という場所が登場しています。当時の出雲国では振根という人がトップだったのですが、出雲を征服したい大和政権は、彼の弟を懐柔して兄弟を仲違いさる謀略を巡らせます。まんまとムカ着火ファイヤーした振根は、「菨(も=川藻)が止屋淵にめっちゃ生えてるらしいぜ!見に行こうや!」と弟を誘い出し、「ここの水、マジでキレイやし冷え冷えで最高やで!泳ごうや!」と丸腰にさせてから斬り殺します。そして、無事に「ナニ勝手に俺等の仲間ブッ殺しとんねん!」という侵攻の大義名分を手に入れた大和政権は、報復として出雲を軍事占領するのです。

このお話、振根が弟を釣り出すために「川藻が沢山あるから行こう」と提案している点がここで取り上げる理由で、このストーリーを考えた大和の吏僚たちは、現代の私達が「島根県の名産品は?」と尋ねられて真っ先にシジミが思いつくように、「出雲と言えば川藻でしょ~!」と連想してこの創作をしたのか、若しくは「まあ、出雲人はめっちゃ川藻が好きだからね~(笑)」と、讃岐人のうどんに掛ける情熱のようなものを下敷きにこの話を作ったのか、はたまた川藻の群生地に対して、現代に生きる我々が松茸の群生地に対して感じるような、すぐにでもスッ飛んで採りに行きたくなるような魅力を大和の人間も持っていたのか…などと様々な想像ができるのです。
幻のカワノリ——止屋淵に繁茂していた藻を想像する
そして、この止屋淵にはどんな藻が繁茂していたのかを想像してみるのですが、例えば、澄んだ急流でのみ生育する、今では「幻」と呼ばれるほどに希少なカワノリが広がっていたと仮定してみると、色々と辻褄が合う気がします。実際のところは当然ながらわからないのですが、カワノリでなくても、きっと飛んで行きたくなるような美味しい川藻が河底一面に漂っていたのでしょう。
島根半島の地形——海食崖と海食台が生んだ海藻の産地
さらに、出雲のある島根半島は古めの地層が海底から隆起してできたもので、地質は固くて脆い傾向があります。それが一年の半分は大陸からの寒波による大時化が日常の荒海に面しているわけで、海岸には波のパワーによって削られた様々な「海食作品」が並べられています。波力によって作られる景色なので、波が当たる場所はガシガシに削られますが波の影響が及ばない海中は浸食されません。結果として海岸は深く剔られ切り立った崖が続き、海面下は削り残された跡がテーブルのように平らに続いています。この地形を海食崖と海食台(海食棚)と言いますが、この地形と冬場の厳しい気候が海藻の生育に最適で、しかも海食台は平らですから極めて危険ではありますが人が歩いて収穫作業ができる良い収穫場でした。
つまり出雲は古くから海苔やワカメ(「め=海藻」)の産地としても名を馳せていた土地でした。



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