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ナマコとイリコ#1 なまこ

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ウマと馬。

馬も中国語で「マァ」と発音しますから、同じ方式で「マ」から「ウマ」になったんだと想像できます。

日本の馬は、古墳時代に軍馬として朝鮮半島から輸入されました。近世の火砲の時代が来るまで馬は戦場で圧倒的な優位性を持っていましたから、戦乱の時代だった倭国での需要はかなり高かったと思います。騎馬技術も同時に伝来しています。戦場へ軍馬が導入されたによって倭国が統一されたという一面もあります。

馬の種類は蒙古馬で、ポニーの一種だったようですが、日本の自然が合っていたようで、日本全土が馬の産地となりました。特に気候は厳しいが餌が豊富な東北(蝦夷地)がこの馬には余程快適だったようで、繁殖が進み、育ちもよく、世代を重ねるほどに恰幅の良い駿馬の名産地となりました。東北で次第に大型化したわけですが、と言っても元のサイズがポニー程度だったので、中型くらいの大きさなんですが、それでも力が強くなったので、田畑を耕したり、切り出した材木を運んだり、様々な役務をこなせるようになりました。

笹鉾山2号墳から出土した「馬形・馬曳き形埴輪」馬曳きの腰には飼い葉を刈るための鎌がさげられている。(Saigen Jiro, Public domain, via Wikimedia Commons)

ちなみに馬の肉は非常に栄養価が高く、軍務や役用から廃棄となった馬を食べる習慣は、「薬食い」として獣肉食が禁忌の日本に古くからある非公式な文化でした。仏教伝来以降の日本において動物性のタンパク源は主に魚でしたが、海や河、湖などの近所でなければ捕れませんから、大手を振っては食べれなかっただけで階級持ちの家庭でもなければ、鶏も兎も鹿も猪も牛も、最低限の獣肉は主に内陸部で食べられていました。老いたりしてお役免除になった馬もすぐに捌かれ、みんなで食べて供養しました。一方で、現在のアメリカ合衆国では馬を食用に屠殺することが禁止されているので、アメリカ合衆国は廃用馬を輸出しています。輸出先の一つがお隣カナダで、フランスの色が残る西部カナダでは馬を食べます。キリスト教圏では馬は食べません。ローマ教皇グレゴリウス3世も732年に馬食禁止の勅令を出してます。今でも馬食のタブー感は強いんですが、フランスでは珍しくOKなんです。理由は普仏戦争での深刻な食糧難によって食肉が不足した為に一時しのぎとして登場したからで、それが戦後になって農業が近代化したのに合わせて農耕馬が余りまして、潰された肉が市場に流され続けたために馬食が習慣化したんです。今では馬肉の消費はだいぶ下火になってはいるそうですが、文化自体は定着していて、馬肉の専門店とかもあります。

括坊奚

岡山市在住の野良キュレーター。
日常を豊かにするリーダーズ・ダイジェストを目指しています。
構造に関するコンテンツが好きです。

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