スペインとポルトガルの大冒険。
大辺境、イベリア半島。
元々、スペインもポルトガルもヨーロッパの端っこにある恵みの少ない辺境国家でした。二国のあるイベリア半島は典型的な地中海性気候で、ロクな作物は育たず、スペインで採れるものと言えばオリーブ、ポルトガルで採れるものと言えばコルクガシくらいのものでした。交易しようにも、陸運はフランス方面はピレネー山脈で遮断され抜けれない。地中海の水運はヴェネチア、ジェノヴァ、ピサ、アマルフィなどの海洋都市国家がバチバチにやり合う激戦地で入り込む余地はなく、彼らを介して交易するしかないが、安く買い叩かれ、ボッタクリ価格で売りつけられました。さらにジブラルタル海峡を挟んで南方はイスラム勢力圏。控えめに言っても敵地。残されたのは大西洋側の海域だけなんですが、そこにはカナリア海流という大自然が南向きに流れていて、どうしたって船がアフリカ方向に流されてしまいます。イベリア半島は気の毒に思えるくらい「詰んだ立地」だったんです。

そもそもヨーロッパじゃない。
歴史的にもイベリア半島は、実は長い間イスラム教世界の一部でした。ジブラルタル海峡を挟んで北アフリカと深く繋がっていました。意外かもしれませんが、イベリア半島はどちらかと言えば北アフリカの文化圏に属しています。ヒトとモノは山を越えるより海を渡るほうが楽なんです。ヨーロッパとの往来はピレネー山脈の巨大な壁が分断してくれていて、地中海の海運も海洋都市国家たちはイスラム教世界の船には手出しできません。ですから船で地中海をイベリア半島に渡り、カナリア海流に乗って北アフリカに戻れば行き来は簡単にできました。つまり、イベリア半島は北アフリカの一部として機能したほうが成立しやすい土地でした。後にナポレオンも「ピレネーの向こうはアフリカ」と述べています。オリエントに続く広大なイスラム教世界と繋がっていたことで成立していた土地だったわけです。

溢れるキリスト教と、溢れるイスラム教。
ところが、西ヨーロッパでキリスト教世界が膨張していった結果、その勢力圏がイベリア半島にまで溢れ出し、徐々にキリスト教世界に塗り替えられていきました。グダグダになってグチャグチャになった十字軍キャンペーンの鬱憤やエネルギーがイベリア半島に溢れました。スペインもポルトガルもその過程で成立した国家です。ところがどっこい、占拠して建国してみたものの、上記のように、キリスト教世界の一部として成立するには、あまりにも「詰んだ」土地だったわけです。
スペインよりもポルトガルのほうが西の端ですから、ポルトガルのほうがより辺境国で、「より詰んでいた」と言えます。いずれにせよこの二国は、追い立てられるように、発狂したように大西洋を南へ南へと、いつ煮えたぎるとも知れない海を進み、さらには貿易風に乗って西へ西へと、いつ尽きるともしれない海を航るのですが、その契機となったのはオスマン帝国によるコンスタンティノープルの陥落でした。こちらも膨張をつづけるイスラム教世界がついにキリスト教世界(旧ローマ帝国領)のランドマークを水没させるほどにに溢れ、キリスト教世界の半分を滅亡させた事件でした。

太平洋へ逃げるしかねぇ!
しかも、よりにもよってこのコンスタンティノープルの陥落事件は、スペインとポルトガルがようやく完全にイベリア半島を占領した直後のお祭りムードの中でおこりました。そりゃあ、せっかく自分たちが奪われた(と勝手に思い込んでいる)土地からようやくイスラム教を追い出せたと思ったら、今度はその親玉が世界の半分を奪い去ったって話が入ってきたわけです。また、コンスタンティノープルのボスポラス海峡と自分たちのジブラルタル海峡を重ね合わせて余計に、南方からの恐怖を感じたのかも知れません。まさに天国から地獄。そりゃあ発狂もします。このまま座しては我々の滅亡は確実!とも思ったでしょう。その結果が熱狂的な無謀な大航海に走ったわけです。そして、その狂気はやがて、史上初の海洋帝国を産み、この二国は逆に世界を蹂躙することになります。




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